「面倒臭さ」と「汚いと感じる感覚」

「面倒臭さ」と「汚いと感じるもの」は、人によって感覚に差があると思っています。

たとえば神経質な義母は、カコがまだ4歳くらいの時、公園から帰って来ると、必ず玄関でズボンを脱がせました。バッグも床に置く時には必ず新聞紙や包装紙の上だったし。

それなのに、お味噌汁がお椀からこぼれているのは気にならないらしい。あんなに潔癖症な義母だったから意外でした。

ある時、自分のお箸で大皿から取る前に、悪いと思ったのか、自分の飲み水(コップ内)で洗っていたのには驚きました!「きれい・汚いの感覚は人それぞれなんだな」と。

 

同じように、面倒くさいと感じる感覚も人によって違います。

今、いろいろ処分したいものが出て来ているが、使っていない未使用品も結構あります。

 

ちょっとここでこれまでの経緯を整理しておくと、私はフィリピンへの海外移住を2年後に計画していて、その前に一度引っ越しをします。それが今度の5月。少しでも家賃を下げて、移住資金に振り向けるためです。

 

前にメルカリで要らないものを売ったことがあります。ヤフオクと違ってチャチャっと簡単。これは画期的だと思ったのです。

だけど、それすら面倒くさい自分がいました。

採寸、入札者とのやり取り、梱包や送付の手続き。それを考えるとうんざりして、まだ使えてもったいない物でも捨ててしまいたくなります。

自治体の粗大ごみだって、ほんの300円払えば持って行ってもらえるものは多いです。メルカリでやり取りする煩わしさを考えると、ゴミとしてさよならの道を選びたくなります。それにヘタしたら送料だけで足が出てしまうかもしれないし。

ただその時には必ず死体処理班の心構えを思い出さなくてはいけない(⇒過去記事)。それが辛い…。

 

そして私は気づくのです。人から見れば、メルカリより粗大ごみより面倒くさい「海外移住を自分で手配する」ということをやっているじゃないか!と。

だけどこれは、私にとっては面倒じゃないんだよなあ。人によって違う感覚というのは本当に不思議なものですね。

 

タイトルとURLをコピーしました